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諦めなければ“道は拓ける” 

1985年イタリア在住の雛の鑑別師、古沢氏の招きで赤玉鶏の調査のため養鶏関係者数名でイタリアの北の方のベレッタなどの名前で知られる銃器産業の盛んな小都市ブレッシャーを拠点に古沢氏と彼の友人達の案内で幸福の青い鳥ならぬ、赤い卵を産む赤い鶏を尋ねて東海岸(ベニス)から西のジェノヴァ付近まで数日間の旅をしたのであるが、そこで起った赤い卵を産む鶏“TETRA SL”との出会いこそ後にイブン ギャラール(IBN GALAL)の日本への導入へと展開していくのであるが、その赤い鶏との出会い以来、運命の糸に操られているかのように起ってくる奇跡のようなエピソードを記しておきたいと思う。c0077280_13105381.jpg
(有)日本バボルナ

 *「初めてのハンガリー」の項で記したようにバボルナのアラブ馬に魅せられて、購入を申し入れたのであるが、きっぱりと断られての帰路、夜のウイーンを散策していると、眼の前の書店の飾り棚の本が眼にとまったのである。

*槍を持ったアラブの兵士が馬に跨った様子をデザインした小さなマークの下にASIL ARABと記されていた。1000頁、程の綺麗な装丁を施したASIL ARABIANs(純血 アラブ馬)重くて、かなり高価ではあったが購入した。                     

ベニス、ローマ、モナコと無責任な観光旅行も終わり成田で日航の最終便に乗込んだのであるが、

*退屈紛れに手にした機内誌に「馬」の特集記事が載っていた。馬の品種の解説の欄に「ハンガリーのバボルナ牧場のシャギア アラブは世界的に有名でナポレオンⅠ世の愛馬や昭和天皇の御料馬「白雪」はこの牧場の産で~」イタリア、モナコと周り、忘れかけようとしていた馬への想いが、バボルナからの帰途に、偶然にもこの記事が私の目にとまったことは運命の悪戯か、この記事を眼にした途端に消えかけていたアラブへの想いが、また燻ぶりはじめたのであった。

 *「2度目のハンガリー」私の馬への想いを良く理解してくれていた、グループの総帥、阪本精造氏の{馬を買うならハンガリーに一緒に行こうか}で訪ねてみると、比較的順調にことは運んだのであった。                              

*バボルナの最高権力者 ブルゲルト ロバート氏、「ハンガリーには”馬と鉄砲と女性は選択を誤ると大変なことになる。“と言う諺がありますが、あなたが馬を選びますか。」私「馬の国の貴方が選んでくれた馬ならどれでも結構です。」ブ氏、農場長に「この人の希望を叶えてあげなさい。」彼のこの一言で”門外不出”と言われていたバボルナ産のエジプト系、純血アラブの入手が決定的となった。馬の価格など話題にもならなかった。         
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 *会議の終了後、Dr ナギー氏から「貴方の国の馬の関係の役所のH氏から種牡馬の譲渡の申し出がありましたが、取引が成立しなかった経緯があることを承知しておいて下さい。」
 
                翌年、輸入申請に際して
* 動物検疫所 「ハンガリーとわが国の間には馬の輸出入に関する防疫取り決めが締結されていないので、希望に副う事は出来ない」この時、政治家の力をお借りした。いまは亡き、時の衆議院副議長、多賀谷真稔氏、お礼にと思い卵を1ケース(160個入り)持参すると、顔をほころばせて「こんなに貰って良いのか」
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(有)日本バボルナ * 1988年秋、全国乗馬倶楽部連合会 理事長、武宮正旺氏が二度にわたり厩舎を訪ねてこられた。到着してまもないジャミールとハナンの放牧場で仔馬との戯れと言った方が良いかも知れない、楽しそうな一時をすごされた後「ジャミールをわが国の乗用馬の品種改良のために種牡馬として使用したいので譲渡できないか」と相談を持ちかけられた。

この件は、お断りしたのであるが、武宮先生は「私が手配をするので種畜登録だけは是非、申請する様に」と奨められたのであった。

* この仔馬たちは輸入申請に当たって、繁殖には使用しない愛玩目的の乗用馬として輸入が認められていたもので、“遺伝資源”として使用することになると、厄介な用途変更の手続きが必要になったのである。が、これも先生のご尽力で難なくクリア出来たのであった。

数度に及ぶ難関はあったが、“非力でも諦めないで忍耐強く努力することが、人を動かすことになる。”のではなかろうか?
写真は、ジャミール(IBN GALAL Ⅱ-2)の近況

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by babolna | 2007-07-28 13:12 |  

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